種族:オートマタ
心を癒やす場所
【一】 海辺の街には、夜になると青い灯りが浮かんだ。 廃材から生まれたアゴンの工房、その窓明かりだ。 ライオンのマスク、金色の髪、白いジャケット。 黄色い目が、壊れた記憶を静かに見つめている。
【二】 工房の屋根には、フクロウ型の電獣がとまっていた。 名まえはトト。羽ばたくたび、星くずのような火花を散らす。 今夜、扉を叩いたのは、青い鞄を抱えた旅人だった。 その鞄の中には、ひとつの空白が入っていた。
【三】 「記憶を、なくしたんです」 旅人はそう言ったが、何をなくしたのかを覚えていない。 アゴンは機械の椅子をすすめ、胸の奥から小さな歯車を取り出した。 それは、記憶の傷を探すための、古い探針だった。

【四】 探針が旅人の額に触れると、工房いっぱいに景色が広がった。 白い部屋。音のない庭。名前のない朝。 旅人はそこで、何も持たず、何も望まず、ただ眠っていた。 「何もない。それが幸せだった」
【五】 けれど景色の隅で、黒い亀裂がゆっくり開いていた。 誰かの声が、遠くから旅人を呼んでいる。 呼ばれるたび、白い部屋に椅子が増え、壁が増え、鍵が増えた。 何もなかった場所は、忘れられた悲しみで満ちていった。
【六】 アゴンは、壊れた記憶を直そうとはしなかった。 代わりに、亀裂のそばへ小さな窓を取りつけた。 窓の向こうには、海があった。 波は、名前を持たずに寄せては返した。
【七】 「思い出すことだけが、癒やすことじゃない」 アゴンは静かに言った。 「忘れたままでも、ここにいていい」 トトが鳴き、窓の海に金色の光が差し込んだ。
【八】 旅人の空白は、消えなかった。 けれどその中に、海の音と、温かい椅子の感触が残った。 アゴンは新しい歯車を組み、空白のそばにそっと置いた。 壊れたものにも、新しい役目はきっとある。
【九】 朝が来るころ、旅人は鞄を抱えて工房を出た。 自分がどこから来たのかは、まだわからない。 それでも、帰る場所を探して歩ける気がした。 背中で、トトの羽音が小さく続いていた。
【十】 工房には、また静けさが戻った。 アゴンは海を見て、何もない椅子をひとつ窓辺に置く。 そこへ誰かが座る日まで、椅子は空のままだ。 空っぽのまま、やさしく、幸せそうに。